お前は医者に向いていない

小学校の時美術で書いた絵を担任の先生が褒めてくれた.

それをきっかけに美術家になった. あの時先生が惚れてくれたおかげで私は美術家になることができました.

 

ご飯を食べながら見ていたテレビでこのような物語を見たような気がする. 

別にどうってことのない, 大小の違いこそあれありふれた話のようにも思えるのだが, 自分にはこんなにも恐ろしい話というものがあるのかと震えた記憶がある.

 

その日以来人のことを, 特に自分より年下の人のことを褒めるときには非常に気を使うようになった. 

 

人は他人の成功体験を学ぶのがどうしても好きである. 殊更攻略本世代の我々は言うまでもない. 本で記される, 講演で語られる物語は順風満帆でとても耳触りが良く, 適度に自分でもできるのではないかと思わせてくれる. 場合によっては自分も頑張ろうと三日坊主よろしくとモチベーションというか気力が湧いてくる. 

 

別に成功体験が悪いだなんていうつもりはない. この文章を読んで批判的なニュアンスを感じた方がいるのであれば, その理由は明確で私の性格が少し歪んでいるからである. 歪んだレンズから世界を見るとそのように見えてもしょうがない.

 

さあ話を戻すと成功体験について別の意見を発する人もいる.

 

この世の中は生存バイアスの塊である. 

 

と. なるほど確かにこれも真実のように思える. 昔はやった芸人の本を読んで, 段ボールを口に入れたことがある. とても食べられるものではなかったし, それができるようになったところで芸人として成功できるような気もしなかった. 毎日砂の入った容器に貫手を炸裂させていたが牛のツノを手刀で折るビジョンは見えなかった. かの有名な漫画家のように医学部に入りスケッチをしていたが哲学にも通じるような高尚な漫画はかけなかった. 

 

私の不適切な黒歴史は別にしても成功体験は再現性に乏しい. 当たり前である. いまだに受験参考書のコーナーに行けば『絶対に東大に受かる勉強法』『偏差値〇〇から絶対合格』なる本が山のようにある. 自己啓発のコーナーに行けば『人の心の動かし方』『絶対に失敗しないビジネスの会話術』など腐る程ある. 

 

結局のところ成功した人間しか大きな声で話さないし, たとえ失敗したとしても自分の人生は失敗であったと声をあげることはなかなかできない. そもそも何を持って成功とし, 何を持って失敗とするかもわからない. 

 

結局のところ自分が向いていると信じて歯を食いしばるしかないのではないかと現時点では思っている.

 

さあ我々はどこで食いしばるのが良いのだろうか. おそらく多くの人は人生のどこかで『天の声』を聞くのであろう. それが自分の声で聞こえるか他人の声かどうかはわからないが, またそれが祝福であるのか呪いであるのかわからない.

 

昔『お前は医者に向いていない』と怒鳴られたことがある.

正直なところそんなことを言われてももう手遅れなのである. 食いしばると決めた場所に走り込んでしまっていた. 実に無責任な言葉だと思ったし, 当時の自分は言われた内容に憤慨していた. 次の日にはすっかりと言われたことも忘れてしまっていたのだが, ふとした瞬間に思い出す. 

 

言われた言葉が祝福であるのか呪いであるのかはわからないけれども, とりあえずはこの場所でしっかりと歯を食いしばっていきたいと思う.

しかし親・親戚でもなければ, 医療と全く関係ない人に『お前は医者に向いていない』と言われるなんて本当に何をしたらそう言われるんだと当時の自分と笑い合いたいと思う.