久しぶり

結局のところ3日坊主となってしまった

別にその間遊んでいたわけでなく, バタバタと忙しかったのだ

ただ忙しいと言っても惰性の延長線上で, 日常生活に大きな変化が

あったとかは別に無かった.

 

誰も見ていない所で自由に文章がかける所があると思うと

ふと戻ってきたくなる.

不思議なものである

 

元々小説だって好きなシーンまで書きたいタイプだったし, 

途中から書いて書き終わったら削っても問題ないレベルまで

文章を削る様なスタイルだったから小説ですら

人が読むのに優しくない文章を好き勝手書いてはいたのだけれども

それでも無意識のプレッシャーがあったのだろうか

本当に誰も見ていない文章を紡ぐ...いや書き殴るのが

とても楽しい.

 

さていつまでも徒然と書いてもキリがないので話を戻すと

ここ最近はひたすらスライド作成と資料作りの日々だった

研究の方はほとんどストップ状態で進捗は雀のなみだと

なってしまった. まあしょうがない. また科研で何か書いて

当たらないかまな板の上の鯉ごっこと洒落込もう

ただ論文を読む時間や他の勉強をする時間は結構取れたので

トータルで言えば少し+の終始になるんじゃないかな

 

さあ溶けそうなくらい暑い日が続くが

明日も歩いて行こうじゃないか

身からでたサビではない何か

言語化という作業は多くの苦痛を伴うものである.

 

言語化を通じて我々はいかに自分たちが普段感覚で物事を捉え生きていることを実感する. 1日の出来事を文章にするだけであったとしても完全にそれをすることはできないだろう.

 

言語化される際に多くの情報がそげ落ちていく. 1日の出来事を文章化した場合にはおそらく1日のハイライトが語られるはずである. 

私は10 時から3分間眠気を堪えながらカルテ記載をしていた.

など事細かなことはおそらく語られない. 

言語化の昨日の一つは情報の取捨選択であろう. 物事をより簡潔にする機能を持つ.

 

言語化の昨日はそれだけではとどまらない. 言語化はぼやっと存在している抽象概念を許すことはない. ふとした瞬間にその存在を目で追ってしまう異性がいるとする. この時の感情はどのようなものなのだろうか. おそらくその時の感情というものは水に食塩を溶かした時に見えるモヤッとした感じのようにいろんな感情が境界不明瞭に同時に存在しているものであろう. しかし言語化をすると好きかもしれない, とか最近気になる人とかいろんな感情のうちのどれか1つ, または複数のものにフォーカスを当ててそれ以外のものは切り捨てられてしまう.

 

別にその表現が間違っているわけではない. むしろ正しいのだが, 物足りないのである.遥か昔に見た面白かった映画を繰り返し見た時に「あれ?こんなもんだっけ?」という感情に近い気持ちがする.

 

言語化は非常に苦痛な作業である. 言語化を経たものはある意味では洗練され, ある意味では全く違ったものになる. 

 

それを踏まえた上で我々に求められることは, 言語化を経て元のニュアンスとは違ってしまう言葉で他人とコミュニケーションを足らなければいけないこと. また相手の言葉もまた言葉の通りに受け取ってはいけないということである. 

 

自分の中にあったものが自分の外へ出た瞬間に何か違うものになってしまう. 私は少し気持ち悪さを感じている. 身からでたサビではない何かを私は今日も生み出していく.

 

冷たい鉄を叩いてみよう

鉄は熱いうちに打て

 

世の中には役に立たない諺も多いがこれは本当に真理だと思う.

しかし実際にこれができる人がどれだけいるのかは不明である.

 

鉄が熱いうちに打つには少なくとも2つの状況が必要となる. 1つは鉄が熱い状態であること. もう1つは熱い状態の鉄を打つ技術があるのかである. 

 

前者に関しては鉄の問題と切り捨ててしまう人もいるのかもしれないが, 良く考えて欲しい. 鍛冶に例えた話にしたがって解釈するのであれば鉄を温めるのは鍛冶職人の仕事である. 打つのに最適な温度に持っていくのが腕の見せ所ではないのだろうか.

 

10000歩譲って鉄の問題であったとしても打つときに不用意に鉄の温度を下げていないだろうか. その温度で打つ技術を本当に持っているのだろうか. 

 

幸いなのか不幸なのかわからないが, 鉄は鍛冶職人を選ぶことはほとんど不可能である. そして鍛冶職人は鉄をただの鉄屑に変えるのか, そこそこの鋼に変えるのか, はたまた聖剣を打ってしまうのかと鉄の運命を左右することができる. 

 

とは言っても鍛冶職人にだって打ちたくない剣を打たなければいけないこともある. それでも鍛冶職人の仕事には大きな責任と覚悟が問われるのである. 

 

せめて手を入れるからには前よりもいいものを作りたいものである(作られたいものである).

 

 

熱い鉄は叩けば叩くほど硬くなり, 伸び, 美しくなる.

ならば冷たくなった鉄は叩いたらどうなるのであろうか...

 

せめて冷たくなった鉄に思いを巡らせようと思う.

お前は医者に向いていない

小学校の時美術で書いた絵を担任の先生が褒めてくれた.

それをきっかけに美術家になった. あの時先生が惚れてくれたおかげで私は美術家になることができました.

 

ご飯を食べながら見ていたテレビでこのような物語を見たような気がする. 

別にどうってことのない, 大小の違いこそあれありふれた話のようにも思えるのだが, 自分にはこんなにも恐ろしい話というものがあるのかと震えた記憶がある.

 

その日以来人のことを, 特に自分より年下の人のことを褒めるときには非常に気を使うようになった. 

 

人は他人の成功体験を学ぶのがどうしても好きである. 殊更攻略本世代の我々は言うまでもない. 本で記される, 講演で語られる物語は順風満帆でとても耳触りが良く, 適度に自分でもできるのではないかと思わせてくれる. 場合によっては自分も頑張ろうと三日坊主よろしくとモチベーションというか気力が湧いてくる. 

 

別に成功体験が悪いだなんていうつもりはない. この文章を読んで批判的なニュアンスを感じた方がいるのであれば, その理由は明確で私の性格が少し歪んでいるからである. 歪んだレンズから世界を見るとそのように見えてもしょうがない.

 

さあ話を戻すと成功体験について別の意見を発する人もいる.

 

この世の中は生存バイアスの塊である. 

 

と. なるほど確かにこれも真実のように思える. 昔はやった芸人の本を読んで, 段ボールを口に入れたことがある. とても食べられるものではなかったし, それができるようになったところで芸人として成功できるような気もしなかった. 毎日砂の入った容器に貫手を炸裂させていたが牛のツノを手刀で折るビジョンは見えなかった. かの有名な漫画家のように医学部に入りスケッチをしていたが哲学にも通じるような高尚な漫画はかけなかった. 

 

私の不適切な黒歴史は別にしても成功体験は再現性に乏しい. 当たり前である. いまだに受験参考書のコーナーに行けば『絶対に東大に受かる勉強法』『偏差値〇〇から絶対合格』なる本が山のようにある. 自己啓発のコーナーに行けば『人の心の動かし方』『絶対に失敗しないビジネスの会話術』など腐る程ある. 

 

結局のところ成功した人間しか大きな声で話さないし, たとえ失敗したとしても自分の人生は失敗であったと声をあげることはなかなかできない. そもそも何を持って成功とし, 何を持って失敗とするかもわからない. 

 

結局のところ自分が向いていると信じて歯を食いしばるしかないのではないかと現時点では思っている.

 

さあ我々はどこで食いしばるのが良いのだろうか. おそらく多くの人は人生のどこかで『天の声』を聞くのであろう. それが自分の声で聞こえるか他人の声かどうかはわからないが, またそれが祝福であるのか呪いであるのかわからない.

 

昔『お前は医者に向いていない』と怒鳴られたことがある.

正直なところそんなことを言われてももう手遅れなのである. 食いしばると決めた場所に走り込んでしまっていた. 実に無責任な言葉だと思ったし, 当時の自分は言われた内容に憤慨していた. 次の日にはすっかりと言われたことも忘れてしまっていたのだが, ふとした瞬間に思い出す. 

 

言われた言葉が祝福であるのか呪いであるのかはわからないけれども, とりあえずはこの場所でしっかりと歯を食いしばっていきたいと思う.

しかし親・親戚でもなければ, 医療と全く関係ない人に『お前は医者に向いていない』と言われるなんて本当に何をしたらそう言われるんだと当時の自分と笑い合いたいと思う.

狼少年

「オオカミがやってくるぞー!」

 

少年は村の大通りを走りながら大声で叫ぶ. 

村の外れまではもう少しだ. 少年は息を切らしながらも叫ぶのを止めようとしない.少年にはこれしかないのである. 村人たちがそれを信じなくても毎朝それを叫ぶ. 畑仕事に出かける村の大人たちが冷ややかな目で少年を見ている. 

 

これでもだいぶよくなったのだ. 最初の頃は半々であった. それでも半分くらいの人は信じてくれた. でも毎日繰り返すにつれて, 自分を妨害する大人が出てきた. ひどい時は裏通りに連れて行かれ, 数人に囲まれたこともあった. それでもやめなかった. 

 

そのうち自分の周りには自分の言うことを信じる仲間がふえた. 村の中を走っていると自分たちのためにありがとうと感謝するものも増えたのである. 熱心な仲間たちは自分を妨害する集団から自分を守るようになってくれた. そのうち自分のアンチたちは自分に関わるといいことがないことを知り直接声をあげることは少なくなってきた.

 

自分の行動は何一つ変えていないのに, 自分の周りの環境が変わっていく. 少年はなんだかとても面白い気持ちになる.

 

自分はただ毎日叫びながら村の大通りを走っているだけなのに 

 

自分は別に村を良くしようとか誰かを助けようと言う気持ちなんてない. 自分の行動に反対するものの意見にも興味がなければ, 自分を祭り上げてくれるものたちの顔色を伺う気もさらさらない. ただしたいことをしたいようにしているだけである. 

 

自分もこれがいつ飽きるかはわからないが, 薪をくべる季節は走っていて清々しい気持ちになれたからその頃まではやろうかなと思う.

 

 少年は腰掛けていた切り株から立ち上がると, ぐんとノビをした.

さあそろそろ今日も始めようか.

話を聞くのはむずかしい

タイトルの通りだが人の話を聞くのはむずかしい

ラジオみたいに内容を考え, 面白おかしく話をしてくれるのであれば私でもできる. でもそうではない. 聞いて欲しい方の話は必ずしもいつも上手でなければ面白い話題だけでは無い. それどころかこちらから適切な相槌や質問がないと肝心の話をしてくれない人もいる.

 

聞きたくもない話を頑張って聞かなければならないので, 聞く方はたまったものではない. 挙げ句の果てにこう言う言われるのだ, あの人と話していても面白くない と. 自分の話し方を棚に上げてなんと言う仕打ちなのかと言いたい.

 

さあ医学の世界には,

『OPQRST』, 『LQQTSFA』, 『AMPLE FAST』, 『かきかえ 』

など話を聞くのを助けてくれるドラえもん的存在がいる

 

文字稼ぎのために紹介すると, 

『OPQRST』

O:Onset  発症

P:Provocation Palliation 増悪・寛解因子

Q:Quality・Quantity  性状・程度・質

R:Radiation Region 放散・部位

S:Severity・site  重症度・部位

T:Time   経過

 

『LQQTSFA』

L:Location  部位

Q:Quality  性状

Q:Quantity 程度

T:Time  時間経過

S:Setting  発症状況

F:Factors 寛解・増悪因子

A:Associated symptoms  随伴症状

 

『AMPLE FAST』

A:Allergy アレルギー

 

M:Medication 内服薬

P:Past history 既往歴

L:Last meal 最終食事歴

E:Event イベント

F:Family history 家族歴

A:Alcohol 飲酒歴

S:Social history 社会歴

T:tabaco 喫煙

 

『かきかえ 』

か:解釈 病気に対してどう思っているか

き:期待 医療者に何を期待しているか

か:感情 今どのように思っているのか

え:影響 疾病により日常生活にどのような問題が起きているか

 

こんなに便利なツールがあるのである. もちろんこれがあっても聞きそびれることや, 本当のことを聞き出せないこともあるが, これだけ聞くことがあれば相手の話を少しは聞くことができるってわけだ.

 

こんなツールが日常生活にももう少しうまく人の話が聞けたりはしないのかなあ? え? そう言うことじゃない?  そっかそっか. 伝家の宝刀『共感と傾聴』を使ったのに心がこもってないとクレームをもらうねんかめは今日も強く生きようと思う.

 

投資の話

今日は投資の話. と言っても株式とかの話ではない

 

自己投資のおはなし. 自分の将来のためにお金を使う事

これを自己投資という. 将来のためになるのだけらこんなにお金使っても良いよねとういう一種の自己防衛反応的な言い訳でもある.

 

自分はこの言葉を使うことに自信がない. 投資と言うからにはいつか回収ができなければ失敗となるのではないだろうか. 自分の人生のどこかで『人生は失敗だった』と自分で結論をつけかねない. 正直しんどい.

 

だから最近は, 『自分』財団が無償で資金提供をしてくれている. 期限内に使わないといけないから使うんだ!と言う設定を生み出してしまった.

 

別に最終的に回収できなくても報告さえ書けば許してくれるような気がするのである. 心が少し軽くなったように思う.

 

ねんかめは今日も元気に「財源は自分財団で!」と言いながら散財しようと思う