冷たい鉄を叩いてみよう

鉄は熱いうちに打て

 

世の中には役に立たない諺も多いがこれは本当に真理だと思う.

しかし実際にこれができる人がどれだけいるのかは不明である.

 

鉄が熱いうちに打つには少なくとも2つの状況が必要となる. 1つは鉄が熱い状態であること. もう1つは熱い状態の鉄を打つ技術があるのかである. 

 

前者に関しては鉄の問題と切り捨ててしまう人もいるのかもしれないが, 良く考えて欲しい. 鍛冶に例えた話にしたがって解釈するのであれば鉄を温めるのは鍛冶職人の仕事である. 打つのに最適な温度に持っていくのが腕の見せ所ではないのだろうか.

 

10000歩譲って鉄の問題であったとしても打つときに不用意に鉄の温度を下げていないだろうか. その温度で打つ技術を本当に持っているのだろうか. 

 

幸いなのか不幸なのかわからないが, 鉄は鍛冶職人を選ぶことはほとんど不可能である. そして鍛冶職人は鉄をただの鉄屑に変えるのか, そこそこの鋼に変えるのか, はたまた聖剣を打ってしまうのかと鉄の運命を左右することができる. 

 

とは言っても鍛冶職人にだって打ちたくない剣を打たなければいけないこともある. それでも鍛冶職人の仕事には大きな責任と覚悟が問われるのである. 

 

せめて手を入れるからには前よりもいいものを作りたいものである(作られたいものである).

 

 

熱い鉄は叩けば叩くほど硬くなり, 伸び, 美しくなる.

ならば冷たくなった鉄は叩いたらどうなるのであろうか...

 

せめて冷たくなった鉄に思いを巡らせようと思う.