若い頃には○○○

小説を書くのを少しお休みしていたら, 自分の文章が書きたくなって全く新しくブログを始めました.

 

令和なのにブログって…というツッコミを感じなくはないのですが,気ままに書こうと思います. アフィは全くないので気を使って広告踏まなくても大丈夫ですからね.

 

さて最近すごく思うことがある.昔より確実に感動しなくなってきている. 今もまだまだ若いが, 今よりももう少し若い時には色んなことに心動かされたように思う.

いろんな人の口調であったり, 小説の格言やキャラクターの性格が無意識の内に自分の中に入ってきていたし, もっと日常生活で出会うもの全てに心が動いていたような気がする.

 

最近はそれがない. いや無い訳ではないのだけれども, 自分のものになかなかなってくれないのである. 自分にとっての異物が異物として共存してしまう.取り込む訳でも, 反発する訳でもなく, ただその存在を認めてしまうのだ.

 

もしかするとある人はそれが大人になるということだよ. とよくわかるようなわからないようなアドバイスをくれるのかもしれないけれど, 私にはそれが少し怖い. 認めるといえば聞こえは良いのかもしれないけれど, 無関心が足音を立てずに近づいてきているのではないだろうか.

 

少し自分が歳を取ったのを自覚させられながら思い出す言葉がある.

『若い頃には買ってでも苦労をしろ』

『旅行に行け』

『本を読め』

『低学年のうちは勉強以外のことをしろ』

どれも目の上のタンコブな先輩から言われたような言われてなような苔の生えきったありがたい言葉だ.

先輩たちがどんな気持ちで言ったのかはわからないけれども(知りたくもないけれども)今その言葉達に自分も意味をつけれそうなところにきてしまったように思う. 

 

今ならまだ間に合うと思って本を読み始めた. コロナで旅行にはなかなか行けないけれどもいろんな人と交流を持つようにした. 医学以外のものにも興味を持てるようにいろいろな事をはじめた. 

一向にどれも身をつけそうにないが, 少しでも異物が自分の中に入り込んでくれると願って今日も奮闘している自分がいる.

このブログもそのうちの一つ. 

 

何も芽が出なくても別に良いのだけれども, 家での普段着がジャージから着物になった以外の変化が欲しいものである.